⚫【ボランティア依頼完成】インコのワルツ🎵
今回はインコのペットロス支援ボランティア制作が出来上がりまして、当時の事も書いていただいたのでそのまま載せてみました。
悩みを共有・共感することで心の痛みを少し和らげるセラピーがあると聞いたので、いまペットロスで悩んでいる方に読んでいただきたいなと思っております。
m(__)m
『2019年8月現在、我が家はオカメインコ、セキセイインコ、ウロコインコの総勢9羽の賑やかさです。
9年前の2010年8月にはセキセイインコのワルツという生後3ヶ月のメスの1羽だけしかいませんでした。
(私は10年前まで朝早く出かけ、夜に帰宅する仕事をしており、インコとの触れ合いから何年か遠ざかっていました。 息子をみてもらうために、私の実家に同居していた頃に飼っていた2羽のセキセイインコは母が日中世話をしてくれていたから可能でしたが、実家近くに引っ越してからは飼える状況にはなかったのです)
私はずっと持病を抱えながらも朝から晩まで働いていましたのでインコとの生活を考える事もありませんでした。
しかし10年前、働きに行けない病状になったため仕事を辞めました。
ハードではないヨガに週2回顔を出したりしても時間を持て余して寂しくなった私は幼い頃から文鳥やセキセイインコに囲まれて育っていたので、セキセイインコを飼って癒してもらいたくなりました。
動物嫌いの母親に育てられたため、自分の家にペットが居たことのない夫に「インコ飼って良い?」と許可を仰ぐと良いよ。との事で翌日、ペットショップに行きました。
そこには1日2回餌になったセキセイインコが2羽いました。
ブルーノーマルのオスと、なんとも言えず綺麗な黄色とエメラルドグリーンのレインボーのメスがいました。
オスを求めていたはずの私は、一軒目で入ったそのショップでそのメスに心奪われました。
綺麗な上に甘えん坊で人なつこいのです。 この子を買って帰りました。
子供の頃から巣上げしてさし餌も慣れていたので童心に返ってウキウキと帰宅し、「ワルツ」と名付けました。
本来メスは性格がキツイ子が多いのに、ワルツは温厚で人懐こいので帰宅した夫に見せるためにケージから出すと夫の元に飛んで行きました。
ちゃんとインコと向き合ったのが初めてだった夫も飛んで来てくれて嬉しそうでした。
それから毎日夫がワルツに夢中になり、オスを迎えて子供を生ませてみたいとまで言い出しました。
私はオスを探しに行き、青と白のオパーリンの涼しげな大人しいオスを選んで来ました。 夫が「ミント」と名付けました。
オスとメスがいればツガイになる訳ではありませんが、ワルツが今まで飼ったセキセイの中でも居なかった、ダントツな人好きで、工事の業者さん等が来られても必ずその人に飛んで行って甘える子ゆえに子供を見る夢は叶いそうにありませんでした。
そんなワルツの便が生後3ヶ月で水様便が続くようになった事に気付き病院に行きました。
腎臓が悪いとの診断で投薬が始まりました。 最低でも月一回は受診の身となりました。
それでも車に乗るのが嬉しくてお出かけ気分でワルツは喜んでいました。
鳥に詳しい先生のおられる病院を受診しているのに、元々持っていた病弱であるらしい症状が見つかり受診間隔は狭まりました。
甲状腺も悪い事が分かったのです。 インコなんて感情の無い生き物と思っていた夫は私がオカメインコもお迎えしたいと言うとツガイにしたら?と言いました。
ヒナの誕生を見てみたかった様です ブリーダーさんから性別の分かっているオカメインコのオスとメスをお迎えしました。
甘えん坊で可愛い子達でした。 私は家にいるので4羽とも懐いてくれました。 逆に昼間居ない夫の帰りをワルツは心待ちにし、足音で夫の帰宅を察知し、呼び鳴きをしました。 ケージから出すと夫から離れません。
夫はワルツが愛おしくてたまらないのが分かりました。 少し気の荒いところもある夫がワルツとの出会いで性格が丸くなったと思っていましたら、夫の妹が「最近お兄ちゃん、ワルツ、ワルツって人が変わった気がするんですけど」と言いました。 わかる? はい。なんか違います。こんな姿見たことないです。と。
寝言で「ワルツ」です。可愛いくてたまらないのです。 ワルツも私より夫が大好きでした。
でも、ワルツは受診を続けるも腎臓と甲状腺が癌に進行しているという告知がなされました。 私は10年以上病気知らずのインコを飼っていた経験も多く、こんなに通院したのは初めてです。
ワルツが腎臓が悪いと告げられたのはたったの生後3ヶ月の時です。 ワルツはそういう身体が弱いインコとして生まれて来たのでこの子の持った運命だったのですが、残酷すぎる運命でした。
3歳になった頃からケージ内ではしんどさを隠さず、羽を膨らませる姿を見せ始めました。 癌性疼痛です。 もう長くない覚悟は出来ていました。
日曜日の朝、いつも通りインコ達を起こしに行きました。 いつも止まり木で寝ているはずのワルツは床の網の上でこちらを見ていました。
いつもと違うと気づき、すぐにワルツをケージから出してリビングに行き夫を呼びました。 ワルツは夫の腕に飛び乗りました。夫が撫でていると意識を失って動かなくなりました。
息はあります。直ぐに夫の運転で私は掌に意識の無いワルツを乗せて病院に向かいました。電話してあったのですぐに酸素室に入れてもらいました。 すぐに注射を一本打ってもらっていた様ですが意識が戻っていないまま診察室に呼ばれ、先生は私の手にワルツを乗せてくれました。 もう一度打つけれどそれが引き金で命を落とすかもしれないがどうしますか?と聞かれました。
もう戻らないと分かっていたので私は安楽死の意味も込めて、お願いします。と答えました。 打ってもワルツは動きません。その瞬間がワルツの最期だったのです。
私達にお別れの挨拶をするために朝までうずくまって待って、まず私に体を委ね、そして大好きな夫に最期の力を振り絞って飛び乗り撫でられてから意識を失って、そのまま病院で息を引き取りました。
これは偶然ではないと思っています。 わざわざ日曜日の朝、頑張って意識を持って待っており、挨拶して旅だって行ったのです。 本当に愛くるしい性格の人懐こい綺麗な子でした。 たった3年間の短い間、延命の受診でずっと闘病して幸せだったのか? と思う事も無くはありませんが、沢山の愛をくれたワルツの事が今でも忘れられません』
こちらは届けたフェルトインコを飾った画像を送ってくれたので一緒に載せてみました。
自分も制作して欲しいという方はこちら
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